華岡青洲の郷

 和歌山は、世界的に有名な、華岡青洲の生誕の地でもある。


彼は世界で初めて、朝鮮アサガオを使った全身麻酔を施して、乳がん手術に成功した医師である。

その噂は全国にひろがり、多くの門下生が、彼のもとで学んだという。

彼は、田園のふるさとをこよなく愛し、病気で苦しんでいる人達の救済に生涯を捧げたのだ。

「医聖」と書かれていた。

どのような生涯を送るかで、その人の人生に対する評価が決まるのだ。

日本を初め、世界中には、様々な人生があるが、多くを学んでそれをロールモデルとして、自分の生き方に昇華させていく必要があると思った。


「どうせ無理、廃絶宣言」

 今日は1月22日。
■今日のテーマは「どうせ無理、廃絶宣言」です。

北海道の赤平というところに、NASAよりも宇宙に近い町工場がある。

すべて自腹で宇宙ロケット開発に取り組んでいる「植松電機」だ。

去年、大分の別府にある国際会議場で、この社長の講演会があり参加した。

率直に言って、衝撃だった。

なんとこの会社、2000年までは、父と自分のたった二人の自営業だったというから驚きだ。

今では20人ほどの会社の規模であるが、なんとロケットを飛ばす技術はもちろん、衛星の技術まで独学というから凄い。

なんと、NASAからも研究員が来るという。

なぜ、宇宙開発をやっているか。本には次のように書いてある。

『僕たちにとって宇宙開発は、「手段」です。僕たちの本当の目的は、宇宙開発を使って、「どうせ無理」という言葉をこの世からなくす事なんです。』

この本を読むと、いかに私たちの思考の可能性が無限大であるかが分かるだろう。

にも拘らず、想像力に制限を掛けてしまっているのは、「どうせ無理」という言葉を、安易に使い続けてしまったからであろう。

本当に人間の可能性は無限である。







世界が驚嘆、感動した職務精神。

 世界が驚嘆、感動した職務精神
■ロンドン南部にある「王室海軍潜水資料館」の中には、ある日本人のコーナーがあり、彼の写真や「遺書」の写しを展示している。

教科書でも扱い、彼の命日には今でも、駐日英武官が故郷を訪れ、花を手向けている。

アメリカの国会議事堂の大広間には、ワシントンの独立宣言などが陳列された大ガラス戸棚がある。

その一角になんと、その日本人の「遺書」の原文コピーが、英訳付きで展示されている。

世界の軍人に「手本」とされているその日本人の名前は、佐久間 勉という。


彼は、1879年福井県若狭にて誕生。

熱心な勉学の末、海軍兵学校へ入る。

1904年の日露戦争では、巡洋艦「吾妻」に乗り込み活躍する。

凱旋後、母の逝去に遭い29歳で結婚。

娘の出産と引き換えに妻が逝き、人生悲嘆にくれる。

悲しみを振り切るように佐久間は、当時海軍が開発していた潜水艇に傾注。

海軍は性能を向上させるため、ガソリン機関を使う危険な実験を開始した。

艇長には第一人者の佐久間が任命され、呉港を出航して訓練中に事故が発生。

不完全な装備ゆえ浸水して沈下を始め、乗員の努力も虚しく海底に沈み、救助が困難となった。

二日後、引き上げられ、上官の吉川中佐と一部の関係者のみ検分した。

遺族は艇に近づくことを禁止された。

なぜなら、欧州での同種の事故では、乗員が我先に脱出すべく乱闘した姿のまま死んでいた事例が度々あり、同じ醜態が予想されたからであった。

狭い艇に入った吉川中将は号泣し、男泣きに泣き崩れた。

佐久間は指揮をとるまま息絶え、舵取りはハンドルを握ったままなど、乗員はそれぞれの持ち場で絶命しており、取り乱した様子がなかった。

乗組員の立派な職務精神を報じる新聞記事は、日本中を感動させた。

彼の「遺書」には、部下を死なせてしまったことを謝り、部下が沈着に任務を尽くしたこと、沈没の原因と処置を記録、後に役立つよう配慮し、最後に部下の遺族が困らぬように懇願していた。

その感激の渦は、国境を越えて世界に広がっていった。

当時の英紙「グローブ」は「日本人は体力上勇敢ばかりか道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明。今にも昔にもこのような例はない」と驚嘆した。

米の軍事評論家ハンソンは、「尊い日本の厳粛なる道徳、武士道を代表した」と書いた。

★戦後の教育で、アメリカ主導の政策により、武士道の精神は完全に抹殺された。

武士道の精神と軍国主義とは根本的に異なるものである。

彼のような、世界を驚嘆させた日本人はほかにもたくさんいる。

更に紹介しながら、すばらしい精神を共に学んで行きましょう。



塙保己一(はなわ ほきいち)

 

■1937年、ヘレンケラーが来日し、埼玉県で講演した時の事。

「私は特別の思いでこの地に来ました。それは、私が心の支えとし、また人生の目標として尊敬してきた塙保己一先生の生まれ育った郷里だからです。」

会場の人々は、世界的な偉人が尊敬している人が、なんと同県の出身者だと聞かされて驚いた。

保己一は、1746年武蔵国の農家の長男として産まれる。

病弱の為、文字を覚える前の6歳の時に、失明してしまう。

両親は、盲目ゆえに孤独な保己一の為、寺子屋へ入門させた。

「字が見えぬ子に学問はむずかしい」と言われたが、一度聞けば覚えてしまうという抜群な記憶力を発揮して、周囲を驚かせる。

江戸に「太平記」を人々に読み聞かせる職業があると知り、14歳で江戸に行く。

日本は福祉後進国と思われがちだが、実は世界に誇る職業自立策が、鎌倉時代から行なわれていた。

江戸時代には、盲人でも「検校」という地位になれば、直参旗本と同等に処遇された。

学問第一の保己一は、質素な食事に足袋もはかず、書物を買った。

33歳から40年以上かけて、膨大な文献を読んでもらって覚え、その中から1270冊を選び、666冊に編纂した。

歴史、人物、政治、経済、文学、医学、宗教、遊芸、合戦、風俗、紀行、飲食まであらゆる分野の文献を集大成した。

彼による『群書類従』は、日本の文化や日本人の精神を後世に伝える上で例の無い、一大文化的偉業となり現在に至っている。

彼は、学者に止まらず、事業家として企画から資料収集、校正、出版、費用調達、宣伝販売までこなした。毎月数冊づつ発行した叢書の版木は、13000枚以上になった。

後に、「和学講談所」を創設。

優秀な人材を輩出し、76歳で没した。

東京渋谷に、渋沢栄一らが、版木を保存し、保己一の偉業を顕彰する「温故学会」を設立。

来日したヘレンケラーは「幼い頃、日本に盲目の大学者がいる事を母から聞き、その偉大な業績に励まされ、今の私がいます。」と語り、保己一の像を懐かしそうに触り続けていたそうである。

★過去の日本には、私達があまり教えられてこなかった、世界的に有名な日本人がいます。

彼らの人生を学ぶことで、遺伝子の奥底に眠っている世界に誇れる日本人としての自信を取り戻そう。

次回、お楽しみに。

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